CHANGEMAKERS #01 著書「沈黙の勇者たち」で伝えたいこと 岡 典子 教授(人間系)
ナチス期のような過酷な時代にあっても、
人は良心を失わずにいられる。
それぞれができることを持ち寄り、
不可能に見えることでも成就できる。
私たち人間にはそういう力があることを示したかった。
365体育投注 人間系 障害科学域
岡 典子(おか のりこ)教授
PROFILE
桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。
365体育投注 大学院一貫制博士課程心身障害学研究科単位修得 退学。博士(心身障害学)。
福岡教育大学講師、東京学芸大学准教授などを経て、 365体育投注人間系教授。専門は障害者教育史。 著書に『視覚障害 者の自立と音楽 アメリカ盲学校音楽教育成立史』(風間書房)、 『ナチスに抗った障害者 盲人オットー?ヴァイトのユダヤ人救援』(明石書店)。
作家 司馬遼太郎氏の活動を記念して、毎年1回、文芸、学芸、ジャーナリズムの広い分野のなかから、創造性にあふれ、さらなる活躍を予感させる作品に贈られる司馬遼太郎賞。その今年度の受賞作に、本学人間系の岡典子教授の「沈黙の勇者たち」が選ばれました。去る2月12日には、その贈賞式が東京都文京区にある文京シビックセンターで行われ、岡教授が受賞の挨拶を行いました。 贈賞式に合わせて、岡教授に著作を中心にお話を伺いました。
ありがとうございます。
ナチスドイツ政権下(1933-1945)のユダヤ人迫害の歴史を研究し始めて、10年ほどが経ちました。この受賞によって本当のスタート点に立ったと思います。始めた時には、この研究を20年は続けたいと思っていましたので、これからは少し自信を持って進んでいきたいと思います。
この作品で、私がまずこだわったのは、80年以上前のドイツの物語が今の時代の人々にも身近に感じられるように描きたい、ということでした。現代の国際社会にも、もちろん程度と形は違いますが、ナチス時代のドイツに類似する状況はあちこちに存在しています。だからこそ読者には、本書に登場する人々の思考や行動を、他人事としてではなく自分に関わる問題として捉えてほしいと考えました。昔こういうことがあったのね、という受け止め方ではなく、時代や国の違いを超えて現在の、そしてこれからの社会に思いを馳せるきっかけにしていただけたらという願いがありました。実際、現代のドイツでは、ユダヤ人を救った「沈黙の勇者」は、歴史教育としてだけでなく、政治教育?市民教育の教材としても大変重要な位置におかれています。その目的は、単に昔ユダヤ人を救った自国民がいたと教えることではありません。むしろ、かつてのユダヤ人救援者たちの行動をもっと身近な現代の問題に置き換えることで...たとえば、いじめや暴行、虐待、町なかでの窃盗など...もしそういう場面に遭遇したとき、見て見ぬふりをするな、勇気をもって自分の良心に従えと教えるための恰好の事例だとみなされているのです。ドイツでは、ナチス時代への反省から、たとえ100人のうち99人がイエスと言おうとも、その考えは間違いだと思うならば、たったひとりでも勇気をもってノーと言え、と教えます。「沈黙の勇者」は、あの困難な時代状況のなかで、ノーを体現し た人々であり、市民的勇気(Zivilcourage)の象徴的存在なのです。
本書を通じてとくに伝えたかったことが2点ありました。ひとつは、先ほどお答えしたことと重複しますが、読者に、遠い時代の遠い国での出来事としてではなく、今の時代に、あるいは今の自分に置き換えて考えていただけたらという思いです。もうひとつは、当時のドイツでユダヤ人救援に関与した人々が2万人以上もいたという事実...もちろん、ドイツ人全体からみれば少数の人々ではありますが、それでも決して、ごくわずかな数人、あるいは数十人の人々による例外的な行為ではなかったこと、とくに首都ベルリンには、大なり小なり救援活動に関わった人びとが少なからずいたことを知ってほしいという願いでした。日本でもドイツでも、これまでユダヤ人救援に関する研究や調査の成果は、多くの場合特定の救援者に焦点をあてた物語として紹介されてきました。日本でも広く知られている「アンネの日記」や「シンドラーのリスト」などもそうですよね。こうした作品に触れると、私たちは、ユダヤ人救援とは、きわめて例外的な人々による英雄的行為だったに違いないと想像しがちです。けれども実際には、私たちの想像よりもずっと多くの市民が追い詰められたユダヤ人のために行動していたのです。第二次世界大戦の終結から80年近くを経て、国際情勢がふたたび不穏な状況にある今だからこそ、私はこの物語を少数者の英雄譚としてではなく、ごく普通の人々、名もない人々の群像として描くことに意味があると考えました。ナチス期のような過酷な時代にあっても、人は良心を失わずにいられる。そして何より、多くの人びとが少しずつ、それぞれができることを持ち寄り、つなぎ合わせていけば、不可能に見えることでも成就できる。私たち人間にはそういう力があることを示したかったのです。
ユダヤ人救援に関するこれまでの作品の多くは、ユダヤ人迫害がいよいよ苛烈を極め、収容所移送が進行していく時期から話が始まります。けれども、それでは当時の社会状況も、救援者たちの心情や行動の本質も、正確には捉えられないと思いました。そこで本書では、1933 年のヒトラー政権成立から1945 年にいたるまでのユダヤ人政策と、そのときどきにおける人々の姿を連続的に描くことにこだわりました。
救援者たちは多くの場合、収容所移送が始まる1941年になって突然ユダヤ人の味方になったわけではありません。彼らは1933年のヒトラー政権成立以降、徐々に悪化していく状況に耐えながら、そのときどきに応じた方法でユダヤ人に寄り添ってきたのです。その一方で、結果的にユダヤ人迫害の傍観者となった多数のドイツ市民もまた、必ずしも最初からユダヤ人を敵視したり、迫害に対して傍観を決め込んでいたわけではありません。ナチスはユダヤ人を徐々に追い込んでいく一方で、ユダヤ人に親切心を示すドイツ市民への締め付けも段階的に強化していきました。それにより、当初はユダヤ人に同情を示し、手助けしていた人びとも次第に罰則に怯え、沈黙を強いられるようになっていきました。ナチス?ドイツに限らず、人は社会の状況に何か問題を感じたとき、最初は「おかしい」と声を上げます。このことは国際社会でも、国家でも、あるいはもっと身近な職場や学校などでも同じだと思います。けれどもいくら声を上げても状況が改善されず、しかも声を上げるという行為そのものが自分にとって危険だと感じれば、人々はやがて行動を諦め、無関心を装って沈黙するようになります。そうした意味で、救援者たちは、ユダヤ人の危機に際して「突然現れた人々」ではなく、多くの人びとが諦め、沈黙してもなお、最後まで闘い続けた人々だったのです。
たしかに、教会を中心とする救援者ネットワークはありました。なかでも、ヒトラー政権に対して批判的な立場をとった「告白教会」の聖職者や信者たちによる救援活動は、これまでにもドイツ国内外でさまざまな研究成果が報告されていますし、カトリック信者たちによる救援グループもありました。こうしたグループを行動へと駆り立てたのは、キリスト教の教えである隣人愛であったと思います。ただし、教会のネットワークといっても、それはあくまでも教会に通う信者同士がこっそり連携したというインフォーマルなものであり、決して教会が公式に救援活動を行ったわけではありません。実際のところ、聖職者たちでさえ、ユダヤ人に対する感情や考えはさまざまでした。先ほど「告白教会」は政権に批判的だったとお話しましたが、ヒトラーを嫌悪することとユダヤ人に同情的であることはイコールではありません。ユダヤ人迫害に関心をもたない教会ももちろんありました。それにそもそも、ナチス時代のドイツでは、ユダヤ人救援は国家の方針に背く犯罪行為でしたから、教会としては信者のなかから密告者が出ることも絶えず心配しなければならなかったでしょう。
従来のユダヤ人救援は、「追い込まれた無力なユダヤ人」と、「彼らを救った勇気ある人々」という図式のなかで説明されることが多かったように思います。もちろん大状況から言えばその通りです。けれども、生き延びたユダヤ人たちの記録を見ていくと、彼らが決して無力などではなかったことがわかります。ユダヤ人たちは、ナチスによって強要された「死」の運命に抗い、何があっても生き抜くことを自ら決めたのです。ユダヤ人を手助けしたドイツ市民ももちろん勇気ある人々であることに間違いはありませんが、ユダヤ人たちもまた、強く、ときにしたたかに行動しました。出版の際、本書の帯に「(ユダヤ人とドイツ人の)共闘」ということばを記していただきましたが、この「共闘」という表現こそ、彼らの関係性をもっとも適切に示すことばだと私は思っています。ナチス?ドイツは、互いに対する不信が極限まで推し進められた社会でした。国家によって密告が奨励され、家族も友人も、同僚も教師も、誰一人信じられないという時代にあって、ユダヤ人と救援者たちは、互いに対する信頼心だけを頼りに、日々を生き抜きました。救う?救われるという関係性を超えて、生きるために共に闘う強さに強い印象を受けました。
アブラハム夫妻は、潜伏生活のなかであえて子どもをもつという選択をしました。明日どころか、一瞬先に何が起こるかわからない。逃げ続けなければならない日々のなかで、普通に考えれば、赤ん坊の存在は重荷でしかないはずなのに、夫妻はそうは思わないんですね。彼らにとって赤ん坊の存在は、ともすれば折れそうになる心を支え、力を与えてくれるものだったのでしょう。実際、夫妻が潜伏生活を耐え抜くことができたのは、幼いレーハの存在によるところが大きかったと想像します。どんな状況であっても、人間が生きていくためには、希望が必要だということ。そして、新しい命の誕生は、親にとって何にも増して大きな希望になるのだということ。アブラハム夫妻の例は、それを端的に示してくれている気がします。
ユダヤ人救援についての記録は...その多くは戦後になってからの回想録ですが...相当数存在しています。ただ、数年間にも及んだ想像を絶する日々について、戦後長い間経ってから仔細に語ることは必ずしも容易ではありません。実際のところ、ユダヤ人救援に関する記録は、「誰に助けてもらい、どこそこに隠れていた」といった程度の、短くシンプルなものも多いのです。そうしたなかで、本書では、「誰それに助けてもらった」だけではなく、より詳細に当時の生活を書き残している当事者たちの事例を集め、それを組み合わせていくという手法を取りました。アブラハム夫妻については、潜伏生活のなかで生まれた娘レーハが、のちに両親と自分の体験をつづった書籍を出版しており、それを参照しました。
私の専門は障害原理論という研究分野です。障害原理論というのは、ひとことで言えば、「そもそも障害とは何か」を追究する分野と言えば、わかりやすいでしょうか。社会のなかで、どんな人を、あるいはどんな状態像を「障害」として捉えるかは、時代や国によって違います。だから、ある社会の中での、「障害」の成立要因を掘り下げていくことで、じつはその社会の実体が見えてくる。「障害」は社会を表す合わせ鏡のようなものだと思います。
ただ、ひとつ言えることは、いつの時代でも、「障害」のある人として捉えられるのはその社会では少数者であり、マイノリティです。そうした意味で、障害について考えることは、すなわち社会のなかでの少数者やマイノリティについて考えることに通じています。人々は社会のなかで、いつ、どのような場合にマイノリティの立場に追いやられていくのか。そしてそのような立場に置かれたとき、その人びとに何が起こるのか。
このように突き詰めていくと、私はこれまでの研究もユダヤ人救援を扱った今回の作品も、本質的な部分では共通するのではないかと思っています。
そうですね。今回の執筆を始めるにあたっては、サバティカルでドイツに行かせていただいたことが直接のきっかけでした。帰国後も、もちろん繰り返し現地を訪問しましたが、もっとも意識したのは、当時の痕跡が残る場所を実際に見て歩くことでした。ナチス時代の記録を展示する資料館等だけでなく、ユダヤ人が隠れ住んだ住居跡や、かつての収容所、国家に逆らう人々を処刑した刑務所跡など、今なお生々しさの残る場所を精力的に訪ねて回りました。
そうですね。もちろん、すでに80年近く経っているわけですから、現地に行ってもその場で残虐行為が行われているわけではありません。それでもやはり、今なお残されている痕跡はたくさんあります。文字情報...資料だけでは捉えきれない現実を現地で学ぶことができたと感じています。
ユダヤ人救援は、今日のドイツでは、ナチスに対する抵抗運動のひとつと認識されています。今後は引き続き、この抵抗運動に目を向けていきたいと思っています。とくに、当時の若者たち...国家に反発した10代から20代の若者たちが何を考え、何を願い、どう行動したかを丹念に追っていきたいです。当時のドイツだけでなく、現代の国際社会においても、若い世代の思考と行動こそが未来を拓く鍵になります。私自身、大学という場に身を置き、日々若い人たちと一緒に生活しているからこそ、かつての時代、極限状況のなかで若者たちが何を感じ、何をしたか。彼らの行動は、後世にどのような影響を残したのか。そうしたことについて、日本の若い人たちに伝え、また一緒に語り合う機会をもてれば、と願っているところです。
こちらこそ、ありがとうございました。
「沈黙の勇者たち」
(新潮社ウェブサイトより)
ナチス体制下で組織的に行われたユダヤ人への迫害。それに抗い、ユダヤ人に対して支援をした名もなきドイツ人を描いています。1943年6月のナチスによる「ユダヤ人一掃」宣言以降、収容所送りを逃れてドイツ国内に潜伏したユダヤ人およそ1万人うち、約半数が生きて終戦を迎えています。本作では、彼らを支えた娼婦や農場主といった、名もなきドイツ市民による活動の実態を描いています。
[聞き手 広報局次長 髙井孝彰]