略歴
- 1860
(万延元)年
- 12月10日(旧暦10月28日)兵庫県御影村(現?神戸市東灘区御影)に生まれる
- 1870
(明治3)年
- 父と上京し、漢学、書、英語を学ぶ
- 1875
(明治8)年
- 14歳 官立外国語学校卒業後、官立開成学校入学
- 1877
(明治10)年
- 16歳 東京大学文学部に編入 柔術を学び始める
- 1881
(明治14)年
- 20歳 東京大学文学部政治学及び理財学を卒業し、道義学及び審美学の選科入学(翌年卒業)
- 1882
(明治15)年
- 21歳 講道館柔道を創立(稲荷町永昌寺)
- 1891
(明治24)年
- 30歳 結婚する
- 1893
(明治26)年
- 32歳 高等師範学校長就任(第1期/1897年まで)
- 1894
(明治27)年
- 高等師範学校にて大運動会を開催し、全学生、教職員が参加
高等師範学校の目的に、教員の養成に加えて、学校長の養成を加える
修学年限を3年から4年に引き上げる
- 1895
(明治28)年
- 高師寄宿舎の軍隊的組織を廃止
- 1896
(明治29)年
- 学生スポーツ奨励のため「運動会」を設置
清国留学生の教育を私塾にて引き受け始める
- 1897
(明治30)年
- 36歳 再度高等師範学校長就任(第2期/1898年まで)
- 1898
(明治31)年
- 37歳 文部省普通学務局長に就任し、全国各府県一校以上の高等女学校の設置を進める
全学生参加の健脚競走(長距離走)行う
- 1901
(明治33)年
- 三度目の高等師範学校長就任(第3期/1920年まで)
「運動会」を解消して「校友会」を設置し、体育系?文科系の課外活動を奨励
- 1905
(明治38)年
- 館山での2週間の水泳実習を予科生(新入生)全員参加とする
- 1907
(明治40)年
- 外国人特別入学規程細則を定める
清国よりの留学生急増する
湯島聖堂大成殿において孔子祭典を復活させる
- 1908
(明治41)年
- 柔道?剣道を全学必修選択とする
春?秋の長距離走大会、全学生参加とする
- 1909
(明治42)年
- 48歳 アジア初のIOC委員に就任(終身)
- 1911
(明治44)年
- 50歳 大日本体育協会を設立し初代会長に就任(1921年まで)
- 1912
(大正元)年
- 51歳 第5回オリンピック、ストックホルム大会に団長として参加
- 1915
(大正4)年
- 東京高等師範学校に修学年限4年の体育科を設置
- 1918
(大正7)年
- 東京高等師範学校の大学への昇格運動本格化する
- 1919
(大正8)年
- 大学昇格運動の中で、宣揚歌が作られ、嘉納校長の前で歌われる
- 1920
(大正9)年
- 59歳 東京高等師範学校退任、嘉納校長就任時の学生数86名が、この年には724名になる
第7回オリンピック?アントワープ大会臨席
- 1922
(大正11)年
- 61歳 講道館文化会創立、「精力善用?自他共栄」の立言
大学への昇格案議会通過し決定(関東大震災のため開学は1929年)
- 1923
(大正12)年
- 62歳 関東大震災後にスポーツによる復興に着手
- 1924
(大正13)年
- 63歳 嘉納の提案による明治神宮外苑競技場(後の国立競技場)竣工
- 1932
(昭和7)年
- 71歳 第10回オリンピック?ロサンゼルス大会に臨席
IOC総会の席上、永田東京市長の招待文紹介
- 1936
(昭和11)年
- 75歳 第11回オリンピック?ベルリン大会臨席、IOC総会にて東京開催(1940)を決定
- 1938
(昭和13)年
- 77歳 カイロでのIOC総会にて、第12回大会を東京、冬季大会を札幌にて開催することを確認。終了後ギリシャ、アメリカを経てバンクーバーから帰国途上の氷川丸において、肺炎のため逝去(5月4日)