TSUKUBA FUTURE #020:変化しつづける言語の「音」を追って
人文社会系 那須 昭夫 准教授
言語の変化は発音が簡易化する方向で生じる、と思われがちですが、そうだとすると言語全体が似たような音だらけになってしまい、単語や意味の判別ができなくなってしまいます。言語には弁別性、区別する機能があります。発音が簡易化するにしても、弁別の機能は保たれているのです。
言語の文法(規則性)は、構文だけでなく音にもある。
微妙な音の違いを聞き分けるには良い耳が必要。
例えば、「見られる」と「見れる」。いわゆる「ら抜き言葉」ですが、実はこの2つは役割分担をしていて、完全に置き換わりはしません。「見られる」には可能?受動?自発?尊敬の4つの役割があります。ひとつの言葉に4つも役割があるのは、弁別上、効率の悪いことです。一方、「着替えをしているところを見れた」といえば、「見れた」の意味は可能だけ。ら抜き言葉は発音の崩れ、日本語の乱れとして論じられがちですが、可能の役割だけを独立させ、弁別を効率化するための変化だと説明できます。このような変化は中世の頃からおこっています。
言語が変化する流れは止められませんし、ひとたび変化を終えた文法は元には戻りません。ただ、言語は常に変わっているのではなく、安定した状態からはみ出す瞬間があり、その後はダムが決壊するように一気に変化が広がります。その瞬間を観察するのが、目下の那須さんの研究テーマ。いわば「未来世代の日本語音声」の探究です。いま話されている日本語の中から新しい変化の兆しを捉えようとしています。
この小さな手帳に大発見が書かれているかも?
未来世代の音声とはいえ、実際には些細なアクセントの変化です。「みかんが甘い」というときの「あまい」のアクセントはどのようなものでしょうか。「あ」が低くて「まい」が高いと伝統的、「ま」だけが高くなるのは新型です。注意深く聞かないとわからないぐらいの違いですが、このような例は他にも見つかっており、まずは東京の若い世代を対象に、どのくらいの人が新しいアクセントを持っているかを調査していきます。東京で使われる言葉に対する関心は高く、注目を集める研究になりそうです。
発音やアクセントの特徴で全国を色分けした分布図。
日本語の「標準語」がつくられたのは明治時代のこと。それまでは藩単位で地域社会が築かれており、方言も色濃く残っていました。それが、明治に入って全国の規格統一が進む中で標準語がつくられ、それによる国語教育が行われるようになったのです。しかし標準語には方言由来の言葉がたくさんあります。また同じ言葉でも複数のアクセントのパターンを違和感なく使っていることもあります。アナウンサーの話すアクセントも「正しい」わけではなく、発音調査で優勢なアクセントを標準としています。より多くの人が使う言葉が定着していくのです。
音声研究の成果は、外国人に対する日本語教育や、地域間のコミュニケーション促進に活かされることも期待できます。東日本大震災の時、東京などから被災地へ救援に来た医療チームが、痛みを表す方言を理解できずに困ったことがあったそうです。それを機に、各地の談話音声をアーカイブ化する試みも始まっています。
方言調査で録音した音声データの解析には、音声分析ソフトも活用する。
青色の曲線はアクセント(声帯振動の基本周波数)の変化を示している。
この図では、「遊びたがる」の部分の発音が平坦という特徴がみられる。
言語学ではフィールドワークが欠かせません。語彙を調査する場合はインタビュー形式で、アクセントの調査では特定の単語や文章を読み上げてもらい、それを録音してデータを集めます。那須さんが言語学に興味を持ったきっかけも、大学生の頃に行った方言研究のフィールドワークでした。今も、地方へ行くと、地元の人々の話す言葉の発音にそれとなく耳をそばだててしまいます。特徴的な方言なら、それを話す人の出身地や世代まで言い当てられます。音を研究する言語学者には、物まねが得意な人が多いんだとか。ちなみに、茨城弁の特徴はアクセントがないこと。「橋」も「箸」も「端」も区別がなく、前後の文脈で意味を判断しています。
調査というとなかなか協力が得られないことも多く、対象者を集めるのに苦労しますが、普段から周囲の人の話す言葉やその音に注意を傾け、気づいたことをメモしています。1冊の手帳が2か月足らずで埋まってしまうことも。この中に将来の大発見が潜んでいるかもしれません。
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター