TSUKUBA FUTURE #048:法学はカッコイイ!?
人文社会系 辻 雄一郎 准教授
コスプレと憲法の関係を問われて即答できる人は少ないはず。辻さんは、表現の自由を軸に、滔々と弁じます。そのあたりの軽妙さと真摯さのミックス具合が、授業の人気を支えているのでしょう。辻さんがこのテーマを論じ出したきっかけは、「二次的著作物の権利」について議論する台湾の国際会議に招聘され、このテーマを打診されたことでした。準備万端で臨んだところ、いつの間にか全体テーマが「知的財産権」一般へと拡大変更され、他の発表はお硬い法学問題ばかり。それでも孤軍奮闘、クールジャパンを精一杯アピールしたそうです。
自宅でコスプレの衣装をミシンで縫い、小道具もそろえて悦に入るのは個人の勝手です。まさに「表現の自由」として保障されています。しかしインターネットを通じて多くの人が参加するようになり、コスプレは小さな同好会の輪から飛び出しました。さまざまな関連商品が不特定多数に販売され、一大産業として莫大な利益を生んでいます。この現象は、著作物を裁断?スキャンして電子書籍にする「自炊」の問題にも通じます。自宅で一人楽しむ程度なら問題はありませんが、不特定多数に流通させて利益を稼ぐ「商売」の登場は、法律が制定された時点では想定されていなかった事態です。
では、個人的な楽しみを追求する権利はどこまで、どうやって守られるべきなのでしょう。そこで辻さんは、アップルを創業したスティーブ?ジョブスを引き合いに出します。彼の原点は、小さなガレージでコンピュータを仲間たちと組み立てた仕事でした。これはまさにコスプレや自炊と同じです。ビル?ゲイツも似たようなものでした。ところが大企業に成長すると、利益を生み出すインターネットというプラットフォームをも支配しようとします。ガレージでの手作り仕事がモンスター企業に成長し、ちっぽけな個人の取り組み、ひいてはベンチャービジネスを窒息させるような法律を制定させようとする。個人が享受できる権利と、著作権という法律のせめぎ合いです。
新しいメディアやツールの劇的な開発速度に、法律は追いつけません。そこで、裁判所で先例を参照し、既存の法律をどう解釈して問題を解決するかが問われます。たとえば、「この橋、馬車禁止」という決まりがあるとします。馬車以外は通ってよいのでしょうか。ドローンを規制した場合の弊害は? GPSで被疑者の車両を捜査令状なしに追跡することの法的解釈は? 授業で学生に問いかけています。
学生の課題発表では、身振り手振りを交えて学生を議論に巻き込む。
基本的人権というかけがいのない個人の尊厳は世界普遍の価値です。国ごとに憲法が異なるのは、目的を達成するための手段の違いなのだそうです。辻さんは、国内の大学院で学んだ後、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に学びました。西海岸のITベンチャーのたとえや、憲法の国際比較がぽんぽんと口を突いて出るのにはそうした背景もあります。 憲法の番人は最高裁判所です。ただしアメリカと日本ではスタンスが異なるようです。アメリカも日本も、不利益を被っている当事者が裁判所に事件を持ち込んで初めて違憲かどうかの判断が下されます。しかし、日本国憲法が制定されて以来、最高裁が違憲と判断した判決は、アメリカと比べると極めて少ないそうです。
高校生だった辻さんは、何となく「法律」という言葉の響きに誘われて法学部に進学しました。今は憲法学者として、日本の憲法学の緻密な議論を積極的に発信することを心がけています。気候変動からコスプレや「自炊」など、憲法学の王道から見れば邪道と言われそうなテーマも取り上げるのは、憲法が実は身近な存在であることを若者にも知ってほしいからです。今後、研究テーマを政治腐敗にも広げていくつもりだそうです。
学生には「権威」に軽々しく頼るなと教えている。
一人では声を上げにくかった人たちがインターネットを通じて同志を集い、それなりの勢力を形成するようになっています。その一方で、同じ意見の人ばかりが集まり、意見が極端に走る集団極化という現象も目立ちます。自分の納得できない意見に対しても寛容になることが「自由」の本質です。異なる意見の人を脅かしたり、邪魔をしたりするのではなく、対話を取り持ち、説得を試みることが「表現の自由」です。裁判所の憲法判断に対する意見を国民が気軽に交換するようになれば、裁判所も「違憲状態」などという中途半端な判断を下すようなことはなくなるだろうと、辻さんは期待しています。
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)