TSUKUBA FUTURE #022:凍りついた液晶と黄金虫の秘密
数理物質系 後藤 博正 准教授
ある冬の日曜日、実験室に置いた容器の中の液晶が凍りつくほど寒い朝でした。しかし小さな容器だったこともあり、中身が凍っていることに気付かないまま、いつものようにその中で重合反応を行いました。すると結晶性のポリマーができました。さらに電気をかけると、結晶性のポリマーの上に液晶の秩序をもつポリマーが生成しました。100nm(0.0001ミリ)ほどの薄いフィルム状のポリマーの中で、結晶と液晶の2層構造ができていたのです。それは未知の合成方法でした。後藤さんが世界で初めて見つけたのです。「相転移連続重合法」と名付けたそのしくみは、わずかな温度差が結晶と液晶の相転移を引き起こし、きわめて特殊な構造をもつポリマーができたものと考えられます。
金属光沢フィルムの写真は学術誌の内表紙も飾った
このフィルムの正体は、ポリチオフェンという導電性ポリマーです。見た目は赤茶色ですが、電気を流して光を当てると金属のようにキラキラと光ります。さらに、加える電圧を変えると、金?銀?銅の異なる光沢が現れます。電気によって色が変化する現象をエレクトロクロミズムと言い、物質によってさまざまな色に変化するものが知られています。しかし、金属色に変わる物質はそれまで作られていませんでした。
金属のように光るためには、表面の形状がざらざらしていて、光が不均一に屈折する構造が必要です。相転移連続重合法で作成したフィルムは、ひし形が組み合わさったような結晶構造の層の上に、分子がらせん状に配列した液晶構造の層が重なっています。触った感じはつるつるしていますが、実はその表面はなめらかではありません。2層構造の表面や境界面にナノレベルの凹凸があるせいで光の屈折率が変調し、金属光沢を放つようになるのです。液晶にはらせん以外にもさまざまな構造のものがあります。それらを使って表面の凹凸を変えることで、光の反射の状態、つまり光沢や発色をコントロールすることもできます。
ひし形の結晶性秩序の上にらせん状の液晶性秩序が重なった2層構造のポリマーの偏光顕微鏡写真
後藤さんはこの金属光沢に惹かれ、ポリマーの構造を詳しく調べていきました。すると、昆虫のコガネムシのさやばねが、これととても似た構造だということがわかりました。コガネムシの幼虫がさなぎの中で成虫になる過程で、昼と夜の寒暖の差によって相転移を伴う反応が生じ、そのせいで結晶と液晶の層が重なった構造のさやばねができあがると考えられています。コガネムシがキラキラと光るのはその複雑な構造のためなのです。ただしコガネムシのさやばねは4?5層構造。今のところ、この方法で人工的に合成できるのは2層までですから、自然の力は偉大です。
フィルムに通電して光を当てると金色に。
液晶からイメージするものといえば、テレビやパソコンのディスプレイ。解像度や発色の性能はどんどん向上していますが、現在の液晶ディスプレイでは、肉眼で見るような金属光沢を再現することはできません。ディスプレイ上で光っているように見える色は、周囲の色との比較などによって人間の脳が情報を補っているのです。後藤さんの開発したポリマーを応用すれば、「本物」の金属光沢を映し出せる液晶ディスプレイも夢ではありません。
後藤さんの研究の師匠は、導電性のポリアセチレンを発見したことで2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生です。しかし当時の研究テーマはポリアセチレンではなく液晶でした。そのころ、昆虫に興味をもち、タマムシのさやばねが虹色に光る原理が液晶構造にあることを知りました。以来、光や色の変調をキーワードに、液晶ひとすじで研究を続けてきました。けれどもその成果がコガネムシにつながったのは全くの偶然です。
玉虫色に輝くポリマー | 研究室の学生たちの指導にも熱心に取り組む |
近年、生物の生体構造や機能などを真似て新たな技術を開発しようとするバイオミメティクスという分野が盛んになっていますが、後藤さんの研究はこれとは逆のアプローチです。自分が開発した材料を突き詰めていくうちに、70年代にヨーロッパで解明されていたコガネムシのさやばねの構造の模倣(ミメティクス)であることに気づいたのです。コガネムシの輝きの秘密が、21世紀の日本で液晶ディスプレイ技術とともによみがえる。そんな思いがけない驚きを原動力に、後藤さんは休日の早朝から研究に励んでいます。
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター